「第37回 下入佐隆博さん(後半)」

東京支部法座の懇親会でインタビュー

東京支部法座の懇親会でインタビュー

「永代経」から日常生活に戻っても、日々が空しいという気持ちはなくなりません。ただ聞きたいという気持ちが強くなります。通勤の行き帰りにも念仏を称えていました。勧められたことは何でもやろうと思います。

 

 半年後の華光大会での御満座の増井悟朗先生のご法話で「頭で考えるから聞けんのや!」と言われ、ハッとします。自分はこれまで考えて判断して生きてきた。しかし、仏法ではこれが通用しないと知らされます。

 

 何を考えても壁にぶつかります。この精神状態では生きていけない。ボーッとした状態で松岡先生の座談にでます。他の人が勧められているときに、あなたも念仏しさないと言われると、念仏が溢れてきます。喉が壊れると思うくらいに出ます。涙も、なんでこんなに出るんだというくらい出ます。

 

 松岡先生から「どうですか?」と聞かれても、「何もないです」「そうだろう。何もないんや。チカラないんや」と言われます。

 

 自分が判っていないことにギャップを感じ、信心がゆらぎます。しかし念仏は出てくる。悟朗先生に相談すると、「聞き方が足りん。ところどころを聞いている。自分のことばかり見てる」と言われます。

 

 心がざわつき気持ち悪かったところに、蛇が出てきてとぐろをまいているのが見えます。自分の業で苦しんでいるにもかかわらず顔は笑っている。気持ち悪いけれども、本当の自分の姿だと気付きます。体がなくなり、脳がなくなると、こいつが残って流転していく。地獄行きは当たり前、喜んで堕ちていく、聞きたくなくてニヤニヤしている。

 

 そういう私がいるから本願を作らざるを得なかった。本願をたてさせた張本人が自分だと知らされます。救われようとしていた自分が恥ずかしくなりました。

 

 下入佐さんの体験発表は、当時、救われたいとあがいていた私に大きなキッカケを与えてくれました。今回、東京支部法座の懇親会で詳しく聞かせて頂きました。

 

山崎隆弘

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