「自障障他(じしょうしょうた」

龍谷大学真宗学会での発表

龍谷大学真宗学会での発表

 

 

「自利利他(じりりた)」とは
よく聞く言葉だ。
元々は仏教語で自らの悟りのために修行し努力することと他人の救済のために尽くすこと、
この二つを同時に行うこと(デジタル大辞泉より)。

 

 それが今では京セラの稲盛和夫会長の「京セラフィロソフィ」にもあるように、
会社のあるべき姿として語られることが多い。
自分が利益を得たいと思ってとる行動は、
同時に相手側の利益にもつながっていなければならい。
つまり、自分が儲かれば相手も儲かる。

 

 確かにそうだ。「自分だけ」と思う心は何かとうまくいかない。
相手にとって利益となることは、自分にとっても利益となって返ってくる。
しかし、自分が儲かりたいがための行動は正直なところ邪ま(よこしま)だ。
だから厳密な意味では、お金が絡むことを自利利他と称するのは無理があるのだと思う。

 

 ほとんどの日常行為は、自利利他の反対語、
「自障障他」だ。自らが妨げとなり、他人をも妨げてしまっている。
「自分が」「自分だけのもの」「私なんて」と思う心と.
「なんであの人だけ」「恥をかかされた」「取られた」「悔しい」等々、
他人を出し抜こうとする心はいくらでも出てくる。

 

 だからこそ、だからこそ、自分の物差し以外の物差し「仏教」を学ぶ必要があるのだと思う。      

山崎二三代

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