「都合の良い耳」

会食が流れた替わりに家族で食事inさく間

会食が流れた替わりに家族で食事inさく間

口を開くと出てくるのは、自慢話か噂話。愚痴に悪口、次々と溢れ出る。話すことは雄弁でも、人の話を聞くとなると超、難しい。
 
 
 まず、人の話を聞いていない・笑。「なんて?」と聞き返すならまだ良い。ほとんど右から左へ抜けていく。ところどころ聞いたとしても、覚えていない。
 
 
 しかし、その話にチョットでも自分の話題が出てくると、忘れもしない。レーダーが素早く察知し、記憶に書き込む。「あの時、こう言われた・・」笑。
 
 
 そう、四六時中考えているのは自分のこと。自分の物差しで人を測るのは超、得意。人の話を聞きながら、人を測り自分と比べる。人の話を自分の都合の良いように取り込んで、自分の解釈を付け加える。「それ知ってる」「わかってますよ」「ではどうやって?」笑。
 
 
 「そのまま聞く」ことはとても簡単なようで、超超難しい。自分を脇に置くことができないからだ。聞く主体は自分なのに、自分を脇に置く。それはまるで自我の芽生えの前に言葉を聞いて言葉を覚えていく幼児のように。
 
 
 だが、大人でも自分を脇に置いて人の話を聞く瞬間がある。それは「驚き」を持って聞く時だ。「え!」の一言で二の句が告げない。ハッキリとその言葉を覚えている。仏法を聞くとは、まさに「驚き」が立つ瞬間だ。この「驚き」を驚きと思えない都合の良い耳がそのまま聞くことを邪魔しているんだよなあ。
 
 

山崎二三代

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